藤井哲也
先日、同コラム欄に「大阪くそったれリカバリーストーリー」を投稿させていただいたが
、またまた次なる別バージョンリカバリーストーリーをこの際皆さんに提供させていただ
く。
時は今からさかのぼること37年前、私が若き24歳、神奈川県立某病院に長期入院中、院外作業に駆り出された時の仕事場での負傷事故から派生した一大騒動を振り返りながら思うままに述べる。
私にとって3回目の精神科病院入院中(入院期間は約2年半)、当時の主治医が私に院外作業
(病院から一般企業へオープンで毎日月曜日から土曜日まで働きに行き、仕事終了後、入院
先の病院に帰る。因みに労働条件は、すこぶる過酷で汚い、危ない、安いといった諸々の
障害者酷使の現状ここにありという具合である)へ行かないかと声をかけてくれた先に私が
承諾したがために起こったストーリーである。
それでは、早速本題に入ろう。
まず、入院中の病棟を朝の7時過ぎ出発し、バスに乗って約40分くらいの所にその勤務先
の事業所がある。勤務内容は建築材料、特に一軒家などの内装壁の仕上げの材料(左官屋が
使う化粧壁等々)の製造である。勤務時間は朝の8時から夕方の5時まで。製造に使う材料が
紙になる前のパルプで、またこれが実に厄介な代物なのだ。一旦埃が舞ったら3メートル
先が見透せなくなるほどの劣悪な労働条件での仕事である。
そして、仕事に就き約1か月ほど働きはじめた矢先にその負傷事故は勃発してしまったの
である。
さてさてそのハプニングとは何ぞや?
当時、私は入院中のまだまだ病状が安定しきってない中での過酷な労働の渦中である。
よってまだ薬の投薬も多剤大量(その当時の精神科薬物療法は薬浸けの最盛期時代)にある
真っ只中である。当然、副作用による眠気や集中力、認知機能低下は否めない状況ありあ
りである。また、私もやっと慣れはじめ自信がつきはじめた頃である。
上司の工場長も私に色々な仕事を任せるようになり、割とリスクの高い仕事をその日やら
せて貰ったのだ。その仕事とは製品製造のタンク内の掃除作業である。
図らずもその危なさとは、掃除中にタンク内の撹拌アームが回転している中での掃除なの
だ!
一応、注意しながらの作業なら全くのリスクはないところではあるが。
しかしながら案の上、安全安心の女神は私に荷担しなかった。
撹拌アームの矛先は、私の脇腹めがけて突きささってきたのだ!
そしてその瞬間アームに私の体は挟まれたのだ!まさに絶体絶命!
果たして私の行く先はいかに️?
その時の状況を一言で表現するならまさに「身体拘束」であろう?!
動くにも動けないのだ。にっちもさっちもいかないのだ!
果たして私のこの先の運命はいかに?!
そして私はこの緊急時態を解除すべき方策を案じた。このサンドイッチプレッシャーから
の脱却を。そして次に私は思い切り体を振り切ってみようと!!
その危い行動の結果、お見事危機脱出!?
ただ後が悪かった。
「痛~い!!」その時点で他の従業員が事態に気づき即、私は休憩室で休養。
鏡で傷口を見て自分でもびっくり!深いえぐられた脇腹を。
ただ幸いなことに痛いだけで出血はなく、そして応急処置をその場でやり1時間後の定時
の午後5時に普段どおりに病棟に帰宅。
まだ相当の痛さはあったものの強がりと働き人としてのプライドが先立ち、いつものとお
りに「ただいま~!」と平然と言葉を交わした自分であった。
当然、看護婦さんたちは、私のいつもの変わらぬ容姿に何の疑いも感じない。
(脇腹の傷は服で隠れてるため見ぬけない)
ただ、後から勤務先事業所から連絡があり処置室に呼ばれ夜勤の当直医の診察と外科処置
を受け明日からの出勤は当面の間は控える(ドクターストップ)との指示を受ける。
そして翌日、朝の出勤時間来たる。ドクターストップに対する私の気持ちは、仕事に行け
なくなったことの残念無念さでの朝を迎えていた。そして、とっさに行った行動は仕事に
行くことである!!
仕事に出向くには、いかにナースステーションを突破するかである。
そしていつものように支度を整え看護婦の監視の目をいかにくぐり抜けるかだ。
その結果、以外にもまんまとそのガード(関所)は突破成功と合いなった次第である。
それから私は、また私を待ってる仕事をこなすため、いつもと変わらぬ気持ちで仕事に打
ちこんだわけである。
さてさて、私が仕事に没頭している間当の病棟は私の失踪行方不明事でてんやわんやの大
騒ぎ!!
あの傷でもしかしたらどこかで倒れてやしないか?ただ、まさか、仕事に行ってるとは当
初考えてなかったようだ。一応、連絡をということで連絡、私がいつものとおりに仕事を
していることに大変びっくり驚いたとの話、私後から聞いた次第である。
以上が私の病院入院中での院外作業での珍事ハプニングである。因みにこの仕事が私の人
生における最初の勤務体験であるとともに最初のお給料獲得体験である。給料の額こそ少
ないもののいただいた時は涙が溢れんばかりの嬉しさがあったと同時に生きてて良かった
と肌で実感したもんだ!!
また、その後の看護者が視る私への眼差しががらりと変わったことも付け加えておこう。
何を私が訴えたいかというと私が奮起したことによって医療関係者の仕事に対するモチベ
ーションが上がったこととこちら側患者のあり様でお互いどうにもこうにも変わる可能性
があるということ、つまりは医療関係者からする支援と精神疾患精神障害当事者からみる
支援の溝(ギャップ)は仕事を通しても、あるいは遊びを通してもどこかで埋め合わせが可
能であることが私の「仕事をする」という行為が今後の精神医療と精神保健福祉の行く先
の希望の光としていくヒントのような気がしてならない。
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