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通り過ぎていく誰かを呼びとめることばのために 後編

  • 執筆者の写真: MZM
    MZM
  • 2021年1月26日
  • 読了時間: 7分

匿名希望さん


その出来事からのちのこと(前編はこちら)、私は障害者雇用枠を利用して働き出すことになりました。

病院で出会った人のこと、そこで過ごした日々のことを思い返す機会もやがて減っていきました。


 ある日の晩のこと。

仕事を、駅から家に帰ろうとしていたときのことでした。


よく通りかかる道沿いにあるマンションの陰から、聞き慣れない音が聞こました。それはか細い、誰かがすすり泣くような、これまでに私が聞いたことのないような声でした。


 薄気味悪く感じましたがおそるおそるその場所を覗いてみると、ひとりの女性が立っていました。その様子は普通ではありませんでした。


独り言なのか、その場にいない誰かに話しかけているのか。

オカアサン、ごめんなさい、ごめんなさいと言っています。

真冬の季節なのに素肌の覗いた腕を指で強く掻きむしっています。真っ赤に腫れあがった肌から血が流れだしていないことが不思議でした。


 私はかなりためらったのですが、何か苦しいのですか?と女性に声をかけました。


ごめんなさい、ごめんなさい、あたしがいけないんです、構わないでださい、放っておいてください。

女性はそう言って、やはり肌を掻きむしりながら背を向けるのでした。


だいぶあなたの具合は悪そうに見えるから、救急車を呼びましょうか?

私はたいしてあまり自分でも正解ではなさそうに感じた思いつきを口にしました。


ですが、病院は嫌です、ぜったいに救急車は呼ばないでください、と女性と繰り返すのみなのでした。


 その場ですることがわからず、途方くれた私は帰ることにして路地に戻りました。

ただ女性のことがやはり気にかかり、どうしたものかとその場で立ち止まっていました。

路地には、苦しむような女性の声が変わらず漏れ聞こえています。


勤め先から家路をたどる人のなかには、その声を気にかける人は時折いました。

ですがその女性の姿を目にすると、関わりを持つことに私と同じくためらいを感じるのか背をみな向けて、手にしていたスマートフォンに再び目を落としてその場を通り過ぎていくのでした。


 私は迷った末に電話で救急車を呼ぶことにしました。やがてサイレンの音が遠くのほうから次第にこちらのほうに近づいてきました。


私が電話で指示されたように広い通りにでて救急車を誘導しようとしました。

ところが私の視界の隅で、女性が足を引きずるようにしてその場を離れていく後ろ姿が小さく見えました。

駆けつけた救急救命士さんと私は消えてしまった女性をしばらく探しましたが、みつかることはありませんでした。


 それから、よくその出来事について思い返すことがありました。

自分がしたことは適切だったのだろうか、何かほかに選択肢はあったのだろうか。女性はどうなったのか。

女性のことを気にとめた人は私のほかにもいたのに、どうして誰も足をとめて声をかけなかったのだろうかということを考えました。


 「何だか様子がおかしい」人がいると「黄色い救急車」がどこからかやってきて、その人を精神科病院に連れていくという都市伝説が、かつてうわさ話としてあったそうです。


 わざわざ自分が足を止めなくてもきっとどこからか「黄色い救急車」がやってきて、女性のことをどこかへ連れて行くのだろうから関わらなくても構わないだろう。

通り過ぎたひとはみなそう思ったのだろうか。


 そこまで考えたところで、その「どこか」を私はおぼろげに知っていたから、足をとめてその女性に声をかけたのだということに思い当たりました。


 そして私が病院の職員さんの答えにどこか納得ができなかった理由が、そこで初めて理解ができたように思いました。


なぜ私は、あなたは考えなくてもよいですよという職員さんのことばに対してどこか失望をしていたのでしょうか。


私が求めていたことは、出会った「何だか様子がおかしい」人がどうしてそのような状態になってしまっていて、私は男性に対してどう声をかければよかったのか、それを知りたかった、話し合いたかったということに気がつきました。


私が病院でごく短いやりとりを交わした男性のこと、救急車から逃げるように立ち去っていった女性のことを今思い浮かべてみると、私のなかでひとつのイメージが浮かぶことがあります。


それはこんな光景です。


ふと樹を見上げると、ビニールの袋がところどころ千切れながらひっかかり、枝に突き刺さっています。

冷たく強い風にあおられてずっと揺れています。

ひっそりと掲げられても誰も気にとめるものなどいない、弱々しくはためく白い旗…


助けが必要に思える人が近くにいたとしても、おそらくそうした「何だか様子がおかしい」人を取り扱う人がいて、そのための場所もどこかにきっとあるのだろう。

私自身がかつてそう考えていたのでそう推測をするのですが、ひょっとしたらみなそう、おぼろげに感じているのかもしれません。


ただそうしたぼんやりとした認識は、いつかこんな空間を私たちの周りに作り出すように、私は思うことがあります。


私たちそれぞれの役割が暗黙のうちにどこかで決められていて、その与えられた役割のほかのことは考えなくてもべつに構わない。そう常に自分の耳元で囁いてくれる技術や道具に囲まれた環境。

清潔で便利で快適で、しかし自分と重なるもののないように思える他人への関心が残酷なほど持たれることのない場所。


そうした場所で人が生きていくことは、私自身にはかなり苦しいことのように感じます。


小説『星の王子さま』の著者で知られるサン=テグジュペリを皆さんはご存じでしょうか。

彼は飛行士でしたが、乗機のトラブルによりサハラ砂漠の真ん中に不時着をして遭難した経験がありました。


その体験を通じて、人間らしさと人間らしい生き方について綴った美しいエッセイを残しました。同じ機体に同乗して極限状況を共にし、彼のことを命がけで助けた僚友について語った後、次のように述べる一節があります。


人間であるということはとりもなおさず責任を持つことだ。

人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ。

人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。

人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、世界の建設に加担していると感じることだ。 (※1)


このサン=テグジュペリのことばと、ここまで私がお話をしてきた体験がどこかで繋がるような手応えが、初めてこのことばに触れたときに私のなかでありました。


自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に、いままさに不幸な出来事に見舞われているのではないかと思われる僚友に対して責任を持つこと。人間であること。そのために自分の石を据えて世界の建設に加わること。


「ピア」という関係のあり方は、75年以上の過去にサン=テグジュペリが書き残したこのことばのなかに、その手がかりのようなものがあるのではないかと私は感じることがあります。


 はじめのほうで、私たちを遠く分け隔ててしまうことばについて触れました。


 自分ひとりの経験や知識からのみ物事の善し悪しを判断することば。

知らない誰かと話しあう・関わるためではなく、その誰かを評価をしてジャッジをするためのことば。


そうしたこわばったことばに抵抗していくことのできることば、そうしたものが今残されているのだろうかと私は考えることがあります。


おそらくもしもそうしたことばがあるとしたらきっとそれは――

誰も疑わないこと、気にとめていないことに問いを投げかけ、やがて誰かを招き入れる、自分自身の体験から出発したことばではないでしょうか。


自分の石を据えるための体験を差し出すやりとり。

その語らいは目の前を通り過ぎていく誰かを呼びとめる、そのためのことばがやがて生まれてくることを、じっと静かに待っているように私は思います。


自分が生きていることを恥ずかしいと感じた経験がこれまでにあること。

自分には関係がないと思われるような不幸を前にして、通り過ぎてしまうのを恥ずかしいと感じること。


おそらくそのあいだの距離は、決してそう遠くはなかったはずです。


(※1)サン=テグジュペリ『人間の土地』 堀口大學訳 新潮文庫

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